駒場農学校コレクション

駒場農学校コレクション

コレクションの概要

農場博物館では、農場が駒場にあった時代、すなわち、1878(明治11)年1月~1935(昭和10)年7月に農場で実際に使われた農機具や標本などとして収集された農機具・実験機器を、駒場農学校コレクションとしています

よって、駒場農学校コレクションは、農学校・駒場農学校・東京山林学校・帝国大学農科大学・東京帝国大学農科大学(1897(明治30)年改称)・東京帝国大学農学部(1919(大正8)年改称)の附属農場や研究室などで使用・収集されていた史料から成っています

コレクションの紹介

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米國犂 米國犂 米國犂 両撥土板犂 大鎌

大鎌刃・小鎌刃コレクション 物理実験用風車 (畜力)グレインドリル 片手鍬 板鍬

畦塗り鍬 平鍬 大鋤 平鋤 フォーク

カルチベータ カルチベータ 唐箕

 

駒場農学校

駒場農学校のルーツは、1874(明治7)年に内藤新宿試験場内に設置された農事修学場で、東京大学農学部の起源でもあります。なお、内藤新宿試験場は、現在、新宿御苑外部リンク になっています。その後、1877(明治10)年に農学校と改称され、同年、東京府荏原郡上目黒村駒場野(現在は、東京都目黒区駒場)に移転しました

1876(明治9)年に改称した札幌農学校との区別を明確にするために、農学校は1882(明治15)年に、駒場農学校に改称されました。その後、同年に設置された東京山林学校と1886(明治19)年に合併し、東京農林学校に改称され、1890(明治23)年に帝国大学へ統合され、農科大学となりました

クラーク博士に代表されるように、札幌農学校がアメリカ人教師を招いて開拓農法を教えたのに対し、駒場農学校ではイギリス人教師を招いた後、「ケルネル(ケンネル)田んぼ」に名を残しているようにドイツ人教師を招き、ヨーロッパ式農法を中心に日本の農業も教えていました。そのため、1878(明治11)年1月に設置された農場の大半はヨーロッパ式の泰西農場(たいせいのうじょう)であり、日本式の本邦農場(ほんぽうのうじょう)の面積は広くありませんでした。なお、本邦農場の教師として招かれた一人に、明治の三老農の船津伝次平がいました

泰西農具及ビ獣醫治療器械説明書(たいせいのうぐおよびじゅういちりょうきかいせつめいしょ)

「泰西農具及ビ獣醫治療器械説明書」 刈禾機(がいかき)の図

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「泰西農具及ビ獣醫治療器械説明書」の図のほとんどは、機械や器具本体が描かれていますが、穀物収穫機である「刈禾機(がいかき)」と、牧草刈取機の「剪草機(せんそうき)」の図は、作業風景が描かれており、当時のヨーロッパでの農作業風景を見ることができます。なお、刈禾機の「禾」は、元来「アワ」を意味していたとされますが、転じて「葉や茎を含めた穀物の地上部」を表しているとされています

・駒場農学校蔵版、有隣堂(穴山篤太郎)発行
・発行年不詳

ヨーロッパの農機具を紹介した農具の部と獣医治療器械の部から成っていて、大きさはA5判より一回り大きいサイズです。農具の部では、解説文に10ページおよび図に18ページを使って、49点の農機具の説明がなされています。また、獣医治療器械の部では、解説文に6ページおよび図に8ページを使って、99点の器具の説明がなされています

図はすべて西洋で書かれた原本の図を、転写もしくは模写したものと推定されます。また、解説文は漢字とカタカナおよび英語で書かれており、洋犂のプラウを「米語」のplowではなく、「英語」のploughと表記していることから、本書の原本はヨーロッパ、つまり英国であると推定できます

なお、解説文では農具の作業能率を、1日10時間労働で表しており、現在に比べて当時の農夫の過酷さが想像できます。発行年は不詳ですが、駒場農学校と称していたのは、1882(明治15)年5月~1886(明治19)年7月の約4年間ですので、本書もこの間に出版されたものと考えられます

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